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2013’05.13・Mon

しまことば集 伊豆大島方言 

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いい本がでました。藤井 伸さんの遺稿「しまことば集」
ゲラ刷りの校正を見せていただきましたが 教え子にあたる 竹本葵太夫の手の入れようが これまたすごい
洋画家 中出那智子さんの挿画 編集者の藤井虎雄さんの編集後記を載せさせていただきました。

一部を紹介しましょう。
カタノシマ
大島から見て利島、新島、式根島、神津島をさして言う語。カタとは、一定の方向・方位・場所・地点  などを示す言葉として古くから用いられている。また「カタは西を意味する語であった。大島から見て  西の島はカタノシマである」と説く方もいたが、残念ながら未だ特定するに至っていない。
 
サンジャフ(ク)
H音化。三尺の長さに切った細工・刳物材。三尺は一本一本末口を計らなければならない大変な作業。  母の実家の爺によく現場に連れて行かれ、棚杭や藤蔓探し、計測は無理だったが、結構楽しんだ。子供  でも結構労働の助け手にもなった。
[参考]東海汽船の待合室に向かって下って行くとロータリー。直前の左角(前に浜宮様鎮座)一帯は金  光寺で、高い石垣に囲まれていた。その真向いは現待合室まで下條藤井家、その間を長沢が浅い砂混じ  りの窪地を作って下っていた。金光寺の石垣には建築資材のコマイ竹(漆喰壁の下地)が一面に立てか  けられて天を突き刺し、その前にはこのサンジャクが長々と列をなして積み重ねられていた。中央部は  長沢の窪地を避けて薪の山である。ここから前浜沖がかりの船まで、さんざめく大島アンコたちの手間  風景が展開されたのである。 
                                          (チョモ)
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