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2011’10.17・Mon

天留古(テリコ)

島の中でも地域により異なるが大島の畑は「砂地」が多いような気がする。砂地だと芋類が良く採れる。南部に住むチョモさんの畑のさつまは「鳴門金時」、土は砂地というより湿った土に見えます。
鳴門金時は数が多くできないが旨い、と聞いていますが、チョモさんの赤っぽい芋は丸々と肥えています。
私が今年作ったイモは「ベニアズマ」あと3列収穫を待っています(写真のとおりで砂地です)。

  PA060025.jpg


イモのデーター

大分県佐賀関の粟本佐治郎という人が明治23年に漁業で来島し、岡田の人と結婚して住み着いた、その子孫は大島に在住している。佐治郎は一度大分に戻り「天留古(テリコ)」という大変甘みのあるおいしくて貯蔵にも耐えうるさつま芋を持ち帰り広めたので、その後全島で栽培されるようになった。
平成6年に岡田の川島シマさん、小坂でんさん姉妹が5個のテリコを残していることがわかり、譲り受けて苗を作り、地元の中学校の体験学習「さつま栽培」で作った。
これをきっかけにして種芋として広がり、今でも貴重種の「テリコ」を数名の方が種を絶やすことなく栽培を続けている。
大正4年発行の『伊豆大島の事情』によると、当事の品種は「四十日、朝鮮、川越等種々あれど、主にテリコを栽培する」とあり、常食の他に横浜などへ輸出していたことが述べられている。

                       「伊豆大島を知る事典 編者 樋口秀司」より要旨を引用

 いつか「鳴門金時」も「テリコ」も作ってみたいが芽だしや種イモの管理が難しそうですね。
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Categorie大島今昔・風俗風習  - コメント(4) TOP

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はじめまして岡田の坂上です
樋口さんは現在うちの畑の一部を借りて毎年、熱心にさつまいもを作り続けています。
高齢の両親の面倒見ながらがんばっています。

rei7955:2011/11/04(金) 13:12 | URL | [編集]

坂上さんへ コメントありがとうございます
私は毎年農協へ苗を頼んで作っていますが、樋口先生たちは毎年収穫したイモを種イモにして翌年芽を出させて何年も「テリコ」を受け継いでいるのだ思います。
草取りから肥料から、失敗が許されないイモ作りは想像するよりはるかに大変な事だと思います。いつか機会を作ってもらって食べさせてもらえるように頼んでみてください、興味ある人がもっといるかもしれません。

ホットトギス:2011/11/05(土) 20:02 | URL | [編集]

そうですね。
今度、話をしてみます。

rei7955:2011/11/08(火) 11:36 | URL | [編集]

樋口さんと話をしました。
天留古は作るのが大変で、翌年のタネイモ用にするための数しか獲れないようです。
一応、わたしのブログに写真をアップしておきました。
「家っい」
http://onewland.exblog.jp/

rei7955:2011/11/13(日) 18:25 | URL | [編集]

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