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2011’09.09・Fri

おたいね浦の岩脈とナンバンギセル

筆島は「御躰根」と呼ばれ神の宿るところとして信仰の対象になった(伊豆諸島を知る事典 樋口秀司)筆島火山は240万年から数十万年前に活動していた大島で一番古い火山です。筆島は火道にあった凝灰角礫岩の残骸です。専門的には輝石橄欖石玄武岩 橄欖石玄武岩の熔岩及び火山砕石岩からなります。干潮の時には絶壁に放射状に展開する岩脈(ダイク)を観る事ができます。「オタイ明神」の隣の白い大きな十字架は「おたあジュリア」を祀ってあります。文禄の役(1592~)で一番隊長のキリシタン大名小西行長により平壌近郊から連行され養育された「 おたあ」 行長は関ヶ原の敗戦で六条河原で斬首 おたあを見染めた家康の侍女として駿府に仕えたが棄教を拒み側室に難色を示したので やがて1612年(慶長17)の禁教令により大島に遠流に処せられました。秋広平六による波浮開港は1800年(寛政12)それまでは「カキハラ磯」が南部の船着場で30日ほどで大島から新島へ島替えになったとき「かきはら磯」から乗船したのではなかろうか(島の史跡)ジュリアおたあはさらに新島から神津島に島替えになりました。神津島死亡説は目下劣勢で大阪→長崎へと話は続きます。文禄・慶長の役で総隊長を務めた関ヶ原の敗将宇喜多秀家は1606年慶長11年4月八丈島に流罪となりました(秀家ときに34歳 子息2名ほか一族郎党11名)おたいね浦は いま南蛮煙管がひっそりと人目につかず咲いています。
おたいね浦
 筆島(御躰根)
 岩脈
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 オタイ明神
 こりゃ何だ
道邊之 乎花我下之 思草 今更尓 何物可将念(万葉集第十巻 作者不明) ハマウツボ科 ナンバンギセル ススキに寄生する一年草
 葉緑素を持たない 従って葉がありません
 道の辺の尾花がもとの思い草いまさらになどものか思はむ(万葉集) 尾花(ススキ)に寄生する「思い草」
ジオサイト① カキハラ磯と筆島
思い草(ナンバンギセル)和歌歳時記 で検索
(チョモ)
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