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2011’08.21・Sun

差木地の切替畑と背負子(ショイコ)の話 

昨夜 ベットの中で読書中の 差木地の井沢 武さんを訊ねた。翁は来年の4月3日で満100歳を迎える。チョモは知りたいこと 聴きたいことがあると 真っ先に生き字引の井沢さんを訪ねることにしている。井沢さんは自宅から1km一寸離れた畑の中の工房に毎日白髪をたなびかせ自転車で通っている。翁の話の要約.....
地主から3年畑を借りると ハンノキ(オオバヤシャブシ)とオオシマザクラの種を蒔く 借地に春 薩摩苗を植え秋 芋を掘ったあとに麦を蒔く 3年経って畑を返すときに育った櫻とハンノキの三尺苗を植えて返却する(事典では切り替え畑とは森林を伐採しあとを畑地として粗放な農作を行い地力が衰えると一定期間休閑しこれを繰り返すshifting fieldとあります)
背負子は主にふたとうりの使い方があった。カンスゲ等牛馬の飼料運搬 炭焼きの原木運搬 180(長さ)×90cm(高さ)(1棚)になるように10数本の雑木を背負子に括りつけ運んだそうです。(差木地はその昔 漁業権を持たない山方であった)1棚で7~8俵の炭が出来た。最後に3尺の話 素性のよいミズキ(3尺と呼んだ)椿 櫻を 最長3尺 2尺 1尺5寸 1尺に輪切りして出荷 石高計算された。井沢さんによると枝と枝の間隔が丁度3尺に伐れたのでミズキを3尺と呼んだそうです。
お元気な井沢武さん(99歳)
井沢さんお手製の背負子
ABC_1753_convert_20110821133848.jpgハンノキ(大葉夜叉五倍子オオバヤシャブシ)根粒菌と共生し窒素固定 古くから荒地 海岸砂防の緑化用に植栽された 鈍色を出すタンニン系染料として果穂が用いられた 
ミズキ(ミズクサ)こけし タタキ独楽の細工材として出荷

差木地は山方 (チョモ)
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