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2023’07.19・Wed

サクユリが咲き始めました

2023/07/19 櫛形山から下山してジオロックガーデン手前。....
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2023/07/22 参加者25名 環境省 大島町役場 会員 町民
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外輪山 白石山斜面カルデラ内のキョン食害防止ネット設置エリア ①②③のサクユリ数え  604株 バイラス感染 食害株多し 総じて ひねた発育不全株が多く見受けられました。
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出典 毎日新聞07/09 『余禄』 ヤマユリを一番最初に欧米に紹介したのは、シーボルトです。1862年には、日本のヤマユリがイギリスにもたらされた。このユリを送ったのは、同時期に日本にいた3人、J・G・ヴィーチ、ロバート・フォーチュン、シーボルト その後、1873年、ウィーン万博で日本の他のユリと共に紹介され、ヨーロッパで注目を浴びました。ヤマユリは神奈川県の県花です。理由は、明治時代の開国以降、横浜港から大量に欧米に輸出されたためといわれています。明治20年ごろの主なユリ球根の輸出商は、クラマー、ジャーメイン、アイザック・バンティング、ボーマー。彼らは やがて居留地であった横浜山下町や元町に異人館と呼ばれる商社を開き、そこを拠点として貿易を営みました。明治22年ごろから日本の貿易会社・新井清太郎商店がゆり根輸出を始め、23年には、園芸会社・横浜植木株式会社もユリ貿易に参入します。横浜植木は会社設立発起人に井上薫、大隈重信ら明治の元勲が名前を連ね、国内の植木商が出資してできた待望の日本の園芸会社です。ボーマー商会でアシスタントとして園芸に携わった鈴木卯兵衛氏が初代社長、ニューヨークやロンドンにも支店を開き貿易を拡大します。同社は貿易だけでなく、山下公園のバラ園や新宿御苑の造園をしたことで高名になりました。 明治41年(1908年)に日本から輸出されたユリ根は1200万個、金額で45万円
カサブランカ(Lilium ‘Casa Blanca’)はユリの中でも、オリエンタル・ハイブリッドという園芸品種群の中の1品種だそうです。
(出典 『日本ユリ根貿易の歴史』鈴木一郎、1971年11月)
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明治大学 山本 将先生
チョモ
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