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2011’08.01・Mon

元町で壺がはやばや6個出たそうだ  

八重川遺跡 発掘調査後に教職員住宅が建設されます
壺が出たという噂を聴き日曜日に許可無く発掘現場で撮影した。場所は塩屋(海の精)の下。型式学と層位学で相対年代を同定するのでしょうか。型式で行くのでしょうね。(きっと古墳時代の壺でしょう?)ABC_1231_convert_20110801090645.jpg
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元町の集落は むかし 「シモタカブラ」にあった。佐久川から淵の沢までの一帯。文禄のころ(1592~1596年 文禄の役があり 5年夏には(慶長)伊予地震 豊後地震 伏見地震)連日降り続いた豪雨で三原山腹が決壊 ラハールとなって集落を押し流した。生存者がいまの元町地域に集団移住したのが新島村の始まりであった。その下高洞の海食崖から縄文早期前半(約8,000年前)の平坂式土器(横須賀市平坂貝塚)や神津島の黒曜石やイノシシの成獣頭骨等が出土した。工業技術院地質研究所(産総研)の一色直記博士が貴重な土器を発見され「下高洞遺跡」と名付けられました。(一色先生の火山論文はガイドのバイブルです)1978(昭和53)01/14日伊豆大島近海地震で崖の一部が崩れ土塊から椿の葉の化石が発見されました。洞穴の天上「カタ土」に椿葉の化石があるということは1万年前から大島には「椿」があった事になります。うららかな凪の日に三浦半島周辺の夏島人がウリボウと新妻を丸木舟に載せ遠出して大島に辿り着いた。あまりに住み心地が良いのですみついた などと想像すると楽しくなります。
(チョモ)
縄文時代区分
前半期(草創期15,000~11,000年前 早期11,000~7,000年前 前期7,000~5,500年前 中期5,500~4,500年前)
後半期(後 期 4,500~ 3,200年前 晩期 3,200~2,800年前)
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Categorie大島今昔・風俗風習  - コメント(2) TOP

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掘っているのは知っていましたが土器が出たのですね
現場はもう埋め戻しているような雰囲気です、もう発掘は終了でしょうか

ホットトギス:2011/08/01(月) 11:00 | URL | [編集]

壺が出たと聞き及び 即行動。詳細は分かっておりません。近くからは帯金具が出土したり 昨年の樋口先生
岩崎課長引率の「伊豆大島の考古学遺跡を訪ねる②」では赤禿遺跡で土器片が露出しているのには驚きました。

チョモ:2011/08/01(月) 18:09 | URL | [編集]

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