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2020’06.01・Mon

神津島の寒天の原料 平草

平草は天草の仲間で 紅藻 やや深い海で採れ 終戦直後から昭和30年代にかけ神津島の経済を支えていたようです、水深の深いところに、竹くしの形をした万鍬(マンガ)という道具を漁船からたらして、海藻をひつかけて収穫して出荷していました。、組合綱領は神津島の平草の採取仲間たちが取り決めた規則のようです(前田 正代)
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以上出典は 神津島天上山ガイドの前田 正代さん

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種子島の平草漁の良き時代 八板 俊輔


 現和庄司浦漁港付近にこの記念碑は建てられています。平草漁を始めた人物の顕彰碑です。その記念碑には、次のような碑文が刻まれています。
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平草漁創始者顕彰碑
明治四十年来島された宮崎県人鉱山業者二宮兵吉氏は紀州沖から宮崎県沖に続く平草の自生帯が本島沖まで延びていることを推定し鹿児島商業学校教諭土床新助氏の協力を得て探査の末遂に本島東海二十粁附近に其漁場を発見以来氏は平草漁の発展に生涯を捧げ漁具採取方法の改良に寝食を忘れ文字通り骨を本島に埋められたのであります又氏を助けて此の事業の発展に貢献された人に下川清彦恵美原熊右衛門中馬栄三川上万三芝喜十次児玉の六氏があります動力船の導入生産の増進資金の斡旋販路の開拓価格の維持技術の向上等にそれぞれ力を尽され今日の平草漁の繁栄をもたらされたのであります私達はこの深い恩恵に感謝するとともに茲に顕彰碑を建て七氏の遺徳を忍び偉功を永く後世に伝えるものであります
        昭和四十一年十二月   東海漁業協同組合長浜添安彦
昭和初年元庄司浦ハ安納両組合が専用漁業権を取得し広く市内同業者が之に従事していたが昭和二十六年東海岸地区組合の合併により新に発足した東漁業協同組合が之を管理し現在に至っている
                  平山 武 謹書
出典 種子島 西之表市
(チョモ)
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