2019’12.11・Wed
伊豆大島木村五郎・農民美術資料館 藤井虎雄さん
出典は藤井虎雄・上田市立美術館


真田家の家紋 六文銭
上田城の攻略に徳川秀忠軍が手間どり、結果的に秀忠は「天下分け目の関ケ原の戦いに遅参した」と歴史上の笑いものになってしまいました。その一方で真田昌幸・信繁(幸村)親子は3000の兵力で「徳川の38000の兵を撃退した」と勇猛さが日本中に響きわたります。






出品 伊豆大島木村五郎・農民美術資料館 藤井 虎雄

こっぱ 長野県の方言 ⇒木片 この木っ端もらっていいかい







ここは どこ



和田 三造 「南風」 うしろの島は「伊豆大島」


卵が先か鶏が先なのか、ちょっとわかりませんが、私は父が60年間作り続けた「あんこ人形」が元々は木村五郎が島人に伝授した「農民美術運動の一環で大島で開催した講習会」から生み出された人形であり、人形の伝授を受けた島人が作る人形は昭和初期の大島の観光お土産として喜ばれた、と知りました。
父が作り続けた「あんこ人形」の指導者であった日本美術院彫刻部の「木村五郎」の足跡を追い続けた、できれば木村五郎の全貌を明らかにしつつ、彫刻家としての顕彰をしたいと思い、大島でおこなわれた講習会のこと、全国的に進められた農閑期(厳冬期の副業)の木彫制作と豊かな芸術に触れ会う「農民美術運動」の全国展開の歴史をしらべ、大島のあんこ人形の歴史を明らかにしたいと思いました。
夭折した彫刻家木村五郎は37才で永眠されています。夭折の彫刻家の功績や作品に対する興味を持たれる人の情報を見つけることはこれまでなかなかありませんでした。久しぶりに木村五郎の活動の記述を読む機会が訪れました、木村五郎のご家族のご了解をいただき「伊豆大島木村五郎・農民美術資料館(藤井工房併設)」を名乗り活動を続ける者としてはとてもうれしいことです。
藤井 虎雄
あんこさん四方山話
農民美術作家 三代目中村 実工房
(チョモ)
出典は藤井虎雄・上田市立美術館


真田家の家紋 六文銭

上田城の攻略に徳川秀忠軍が手間どり、結果的に秀忠は「天下分け目の関ケ原の戦いに遅参した」と歴史上の笑いものになってしまいました。その一方で真田昌幸・信繁(幸村)親子は3000の兵力で「徳川の38000の兵を撃退した」と勇猛さが日本中に響きわたります。






出品 伊豆大島木村五郎・農民美術資料館 藤井 虎雄

こっぱ 長野県の方言 ⇒木片 この木っ端もらっていいかい







ここは どこ



和田 三造 「南風」 うしろの島は「伊豆大島」


卵が先か鶏が先なのか、ちょっとわかりませんが、私は父が60年間作り続けた「あんこ人形」が元々は木村五郎が島人に伝授した「農民美術運動の一環で大島で開催した講習会」から生み出された人形であり、人形の伝授を受けた島人が作る人形は昭和初期の大島の観光お土産として喜ばれた、と知りました。
父が作り続けた「あんこ人形」の指導者であった日本美術院彫刻部の「木村五郎」の足跡を追い続けた、できれば木村五郎の全貌を明らかにしつつ、彫刻家としての顕彰をしたいと思い、大島でおこなわれた講習会のこと、全国的に進められた農閑期(厳冬期の副業)の木彫制作と豊かな芸術に触れ会う「農民美術運動」の全国展開の歴史をしらべ、大島のあんこ人形の歴史を明らかにしたいと思いました。
夭折した彫刻家木村五郎は37才で永眠されています。夭折の彫刻家の功績や作品に対する興味を持たれる人の情報を見つけることはこれまでなかなかありませんでした。久しぶりに木村五郎の活動の記述を読む機会が訪れました、木村五郎のご家族のご了解をいただき「伊豆大島木村五郎・農民美術資料館(藤井工房併設)」を名乗り活動を続ける者としてはとてもうれしいことです。
藤井 虎雄
あんこさん四方山話
農民美術作家 三代目中村 実工房
(チョモ)
- 関連記事
スポンサーサイト