2019’07.26・Fri




木村 五郎 明治32年東京に生れ、大正4年東京高工附属徒弟学校卒業後山本端雲に就いて木彫を習つた。後石井鶴三の風を慕つて其の指導を受け、又同氏の推薦で大正8年日本美術院研究会員となつた。翌10年「簸の川上の素盞雄尊」外1点が院展に初入選となり、大正15年には日本美術院の院友に挙げられ、昭和2年9月同院同人に推された。作る所は主として木彫でそれも小品を得意とした。享年37才
長野県農民美術 大正時代に 大川 亮 徳川 義親 山本鼎 等の発案・指導により創始され、長野県の上田地方を中心として制作が広まった美術工芸品。農家の冬の副業として始まり、現代は専業化している。農村の風物などを題材とする、主に木彫りの室内装飾品や実用品。県の伝統工芸品に指定されている。




このころの三原山の噴火は 1933~1935(昭和8-10)の小噴火による降下火砕物 1938(昭和13) 1939(昭和14)年の小噴火による溶岩の流出がありました。
「みやげ御神火堂」
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チョモ撮影


大島農民美術生産組合で人形作りを学び、木彫職人として60年に渡り人形を彫り続けた藤井重治がノミを置いたのは平成5年、「あんこ一刀彫人形」は途絶えてしまいました。私の父である重治は生前に「あんこ姿は実に神々しかった」と話していました。生涯で作り上げた人形は12万体を越したと思われます。そのあんこ姿を後世に伝えてゆくために、工房ではあんこ人形の復活を目指しています。先代82歳の時のテレビ画像です。



②みやげ御神火堂 主人 藤井 重治






出典 大島農民美術資料館(藤井工房)
(チョモ)
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