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2018’09.10・Mon

月山8合目 弥陀ヶ原湿原 羽黒山(出羽三山神社) 羽黒山五重塔特別拝観

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落款は「伸」 書家 渡部 伸? お世話になった「いさごや」 「萬國屋」ともに さりげなく郷土の「福王寺 法林」の日本画が.......
「一張一弛 そは いさごや」 斎藤 茂太   お世話になりました
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出羽六十里越街道の幟が目立つ  出典 Wikipedia
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月山8合目 出羽三山詣では 月山は「前世」を表すとされ 来世の極楽浄土を乞う。羽黒修験道で死と再生の意味を持つ「三関三渡の行」というそうです。 山頂まで健脚者で2時間半
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月山神社本宮は官幣大社 1984m   月読命(月山権現) 阿弥陀如来  (写真出典Wikipedia)
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ナナカマド
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ミヤマリンドウ
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月山神社    鶴岡市・庄内町・西川町境   8合目から健脚で2時間半
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奥の細道 月山
八日、月山(がっさん)にのぼる。
木綿(ゆう)しめ身(み)に引きかけ、宝冠(ほうかん)に頭(かしら)を包(つつみ)、強力(ごうりき)といふものに道びかれて、雲霧山気(うんむさんき)の中に氷雪(ひょうせつ)を踏(ふみ)てのぼること八里(はちり)、さらに日月(じつげつ)行道(ぎょうどう)の雲関(うんかん)に入(い)るかとあやしまれ、息絶(いきたえ)身(み)こごえて頂上(ちょうじょう)にいたれば、日没(ぼっし)て月顕(あらわ)る。
笹を鋪(しき)、篠(しの)を枕(まくら)として、臥(ふし)て明(あく)るを待(ま)つ。............


  涼(すず)しさや ほの三か月(みかづき)の 羽黒山(はぐろさん) 


 雲の峯(みね) 幾(いく)つ崩(くず)れて 月の山 

 語(かた)られぬ 湯殿(ゆどの)にぬらす 袂(たもと)かな 

湯殿山(ゆどのさん) 銭(ぜに)ふむ道の 泪(なみだ)かな 曽良(そら)


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「奥井坊」
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「吾妻鏡」 西暦1209年承元三年5月5日  83代 土御門天皇 
出羽国羽黒山から多数の衆徒が鎌倉に着いて、地頭大泉次郎氏平の非法を訴え出た。今日、この件について中原仲業を奉行として裁決を行った。羽黒山は元々地頭の支配に委ねた地ではなく、外部の関与や警察権などの介入を禁じて鎌倉の祈願所と定めた故頼朝将軍の下文により問題なく運営されていたのだが、氏平は羽黒山の維持管理に供する一万八千枚の田を押領した上に羽黒山の運営まで干渉してくるのは根拠がない、それが衆徒の訴えである。  
氏平は弁明することができず、先例に背いての非法を行ってはならないと叱責され、羽黒山運営への関与を禁止する命令が下された.
大泉氏平: 兄の武藤 資頼が奥州合戦の恩賞として出羽国大泉庄(現在の山形県鶴岡市)の地頭職を得た。後に義父頼平の甥に当たる大友能直と共に鎮西奉行に就任し、更に肥前・筑前・豊前・壱岐・対馬の守護に任命された。氏平はその際に大泉庄を継承し、羽黒山の広大な神域と資金力を支配下に置こうと考えたらしい。大泉氏はその後も大宝寺氏として繁栄を続けている。
(出典 吾妻鏡を読む)

修験道は中世以来、天台・真言・華厳などの諸宗と深く関わりをもっていたが、しだいに教団的組織を整えるようになり、のちに本山派(天台系)・当山派(真言系)と発展し、鎌倉時代には羽黒山にも巨大な修験者の教団が成立していたことが、『吾妻鏡』の承元三年(1209)五月五日の条によって知ることができる。開祖である能除仙は第32代崇峻天皇の皇子で、大峰修験や熊野修験が開祖と仰ぐ役行者(7・8世紀頃の呪術者 文武3年699年伊豆大島に流罪 大宝元年1月に大赦 6月7日に箕面の天上ヶ岳で入寂?)より時代が早く、身分も貴い方である。また修験道の最高の法儀である柴燈護摩は、わが開祖が役行者に授けたものであるという伝承から、羽黒山こそ修験道の根本であるとして「古修験道」と称している。
(出典 出羽三山神社HPに一部加筆)
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蜂子皇子の墓
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出羽三山は、出羽三山神社の社伝によれば崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に弑逆された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、3本足の霊烏の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて3山の神を祀ったことに始まると伝える。
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出羽神社(いではじんじゃ) 伊氐波神・稲倉魂命(羽黒権現) 正観世音菩薩 現世利益 鶴岡市・庄内町境
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奥の細道 羽黒山 
六月三日、羽黒山(はぐろさん)に登る。
図司左吉(ずしさきち)といふ者を尋(たず)ねて、別当代(べっとうだい)会覚阿闍利(えがくあじゃり)に謁(えっ)す。
南谷(みなみだに)の別院(べついん)に舎(やどり)して憐愍(れんみん)の情(じょう)こまやかにあるじせらる。

四日、本坊(ほんぼう)にをゐて誹諧(はいかい)興行(こうぎょう)。


      ありがたや 雪をかほらす 南谷(みなみだに) 

五日、権現(ごんげん)に詣(もうず)。

当寺(とうじ)武江東叡(ぶこうとうえい)に属(しょく)して天台止観(てんだいしかん)の月明(あき)らかに、円頓融通(えんどんゆずう)の法(のり)の灯(ともしび)かかげそひて、僧坊(そうぼう)棟(むね)をならべ、修験行法(しゅげんぎょうほう)を励(はげ)まし、霊山(れいざん)霊地(れいち)の験効(げんこう)、人貴(とうとび)かつ恐(おそ)る。
(武江東叡 武江は江戸  東叡は東叡山 寛永寺)
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今度 新島にいったら「天宥」の墓に参拝しよう  (出典 新島村観光情報サイト)
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須賀の滝と祓川神社
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出典 JR東日本 大人の休日倶楽部
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山伏修行体験塾
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90年振りに大鳥居が新しくなります
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「月山」と大鳥居   出典 鶴岡市観光連盟
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柿の産地
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柿の木
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白い花は蕎麦
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サクランボ
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「つや姫」を今度買おう。
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「つや姫」が大島にも初おめみえ  2018/11/10
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ココが日本一!
直径6.5mの大鍋には里芋3トン、牛肉1.2トン、こんにゃく3,500枚、ねぎ3,500本、味付け醤油700リットル、隠し味に日本酒50升、砂糖200kg、山形の水6トンを入れ、6トンの薪(ナラ材)で煮炊きします。 まさに美味しさもスケールも日本一です
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今年の3代目鍋太郎 直径6.5m

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チョモは伊豆大島のジオパークガイドをしております。山形市と大島町は友好都市です。お隣の新島と旧羽黒町が友好都市であることを恥ずかしながら知りませんでした。素晴らしい旅をありがとうございました。
伊豆大島ジオパークガイド チョモ

伊豆大島は三原山と椿で有名な伊豆九島の一つ。
昭和45年から始まった海山子供交歓学習会を通じて両市町の交流が始まり、友好都市締結の実現となりました。昭和55年から始まった「市民べに花号」で毎年多くの市民が訪問しています。昭和61年11月に三原山の噴火による大島町民の災害に対してもたくさんの市民の善意が寄せられるなど、強い結びつきをもっています。  ≪1978年(昭和53年)8月7日締結≫
(チョモ)
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