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2018’09.09・Sun

湯殿山と温海温泉「萬國屋」

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宮城県側は「七夕」
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「山形自動車道」 下方の寒河江川にそって西川町間沢があり山菜料理屋「出羽屋」と「玉貴」がある(荘内交通 佐藤ジュン子バスガイド)
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湯殿山神社  大山祇神・大己貴命・少彦名命(湯殿山権現) 大日如来 鶴岡市・西川町境 江戸時代以前は、鳥海山や月山の東方にある葉山(白磐神社)が三山の一つに数えられていた。湯殿山は、「出羽三山総奥院」とされ、三山には数えられなかった
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真如海上人 入滅1783年 96歳
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模擬像
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即身仏に至る過程もまた、想像を絶する。

「十穀絶ちで体から余計な脂肪や水分をできる限りそぎ落としていますが、さらに余分なものを体から出すために真如海上人は塩と水だけを摂りながら47日間断食しました。それから、後に内臓が腐敗したり、虫がわくのを避けるために、人体には毒になる漆の樹液を飲んで、『土中入定(どちゅうにゅうじょう)』します」
「地下3メートルぐらいのところに作った土留めの石の室に入るんです。石室のなかでは、座棺といって坐禅を組みながら入れる木の箱に入ります。箱の周りは木炭でみっしり埋め尽くされます。湿気を避け、臭いを取る効果もありますから。そして、入定した僧侶はひたすら読経します」
 石室には2本、節を抜いた大小の竹筒が通してあり、酸素を確保するとともに、弟子たちは太い竹筒から水を送る。細い竹筒には鈴が通してあり、毎日、決まった時間に弟子が鈴を鳴らすと、僧侶も鈴を鳴らして生存を伝える。そうして、土中からの反応がなくなると、弟子たちは師匠が成仏したことを知る。
 その後、弟子たちは竹の筒を抜いて石室を密閉する。3メートルも地下にある石室の温度は夏も冬もほぼ一定に保たれる。それから3年3ヵ月後に掘り起こした時にミイラ化していた者だけが即身仏として祀られる。もちろん、朽ち果ててしまうこともあり、その時は無縁仏として供養されるそうだ。
(出典 「未知の細道」)

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4月でも こんなに雪があります
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ここから先は撮影禁止エリア
石段を登り やがて千人沢に降ります。本宮入口で靴を脱ぎ お祓いをうけたあと 全面熱いお湯が流れている御神体(安山岩のマウント)に拝礼し お湯の流れる御神体の端を時計回りに回り 谷のかなた庄内平野に向かって参拝してもとに戻ります。履物をはく前に御神湯で足湯につかり神域を退ります。


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湯殿山スキー場
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山あいを流れる温海川に沿って温泉街が展開する。
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今宵の宿は創業347年の あつみ温泉「萬國屋」さん
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古代布 沖縄の芭蕉布 静岡の葛布 羽越しな布(旧温海町関川 村上市山北地区)
しな織 科の樹の皮を1年近い歳月をかけて手作業で糸にして織りあげたもの
伊豆大島の菅原 匠さんは科布を藍染にした作品が多い。
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科(シナ)の樹
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のど黒塩焼き  丸十レモン煮 菊だいこん
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酒田のはじまりを語る時、開祖として語り継がれているのが、徳尼公と三十六人衆です。徳尼公は遺臣三十六人を連れて諸国を漂流、秋田から羽黒山のふもとの立谷沢に移り、その後酒田に居を構えた。徳尼公は、藤原秀衡の妹(もしくは後室)といわれた人物で、三十六人衆はその遺臣たち。文治5(1189)年、源頼朝の武力が奥州に及んで、3代100年栄華を誇った平泉藤原氏が没落。平泉を追われた徳尼公は、秋田から庄内に落ち延び、最上川南岸の袖の浦(現宮野浦)に尼庵「泉流庵」を結ぶと、三十六人衆の勤仕のもと、酒田で生涯を過ごしました。建保5(1217)年に徳尼公が没した後、三十六人衆の遺臣は袖の浦で船問屋を営み、地侍として町政にあたったといわれています。
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温海しな織り 「柴田屋」
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(チョモ)

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