2018’01.13・Sat
コース 作図 リーダー 八木 丈夫

古い地図の道

春日神社を10:05スタート 参加人員8名(うち初参加2名) N34 °41 ′10 ″ E139 °24 ′56 ″





N34 °42′ 28 ″ E139 °25 ′3″










N34 °42 ′39 ″ E139 °24 ′56 ″


岳ノ平(荒島山) 凹部は火口跡の一部か ?

二子山 レフトピーク ボルタック




何してんの




N34 °42′42″ E139 °24′38″



N34 °42′30 ″ E139°24′30 ″


二番ヶ沢上部 N34°42′32 ″ E139°24′31″





往路は右へ 復路は左から降ってきました N34 °42′29 ″ E139°24′39 ″



「岳ノ平」(標高231m)を登ります。 応永28年1421年の割目噴火でできたスコーリア丘

山頂の「荒島明神」(アラガミ様) 寛延2年(1749)の「伊豆国大島差出帳」には「荒嶋明神 差木地村」と記載されている N34°42 ′29″ E139 °24 ′ 39″

昭和22年建立の祠

![ABC_4970_convert_20130326153429[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/g/o/j/gojinka100/201802141917359e0.jpg)

大島一の「モッコク」

左がモッコク 右がイヌマキ


16:40春日神社帰着

伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」 右が大島 出典 国土地理院 よちぜんずの よ は当て字です

拡大

古地図で 岳ノ平は「荒島山」と記載されている 八木リーダーから 教わりました

忠敬は第九次の伊豆七島測量を除いて全測量に従事した 彼自身の踏破した測量距離は3.5万km
測量日記によると文化12年10月24日(1815/11/24)は測量隊が清蔵 善太郎宅に分宿 その後3日間は才六 吉五郎宅泊 出典 伊能忠敬e史料館

荒島山から「岳の平」になった事情をご存知の方がいらっしゃいましたら 情報をいただければ ありがたいです(04992-4-0279)
63br9u@bma.biglobe.ne.jp 内堀 昇一
(チョモ)

古い地図の道

春日神社を10:05スタート 参加人員8名(うち初参加2名) N34 °41 ′10 ″ E139 °24 ′56 ″





N34 °42′ 28 ″ E139 °25 ′3″










N34 °42 ′39 ″ E139 °24 ′56 ″


岳ノ平(荒島山) 凹部は火口跡の一部か ?

二子山 レフトピーク ボルタック




何してんの




N34 °42′42″ E139 °24′38″



N34 °42′30 ″ E139°24′30 ″


二番ヶ沢上部 N34°42′32 ″ E139°24′31″





往路は右へ 復路は左から降ってきました N34 °42′29 ″ E139°24′39 ″



「岳ノ平」(標高231m)を登ります。 応永28年1421年の割目噴火でできたスコーリア丘

山頂の「荒島明神」(アラガミ様) 寛延2年(1749)の「伊豆国大島差出帳」には「荒嶋明神 差木地村」と記載されている N34°42 ′29″ E139 °24 ′ 39″

昭和22年建立の祠

![ABC_4970_convert_20130326153429[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/g/o/j/gojinka100/201802141917359e0.jpg)

大島一の「モッコク」

左がモッコク 右がイヌマキ


16:40春日神社帰着

伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」 右が大島 出典 国土地理院 よちぜんずの よ は当て字です

拡大

古地図で 岳ノ平は「荒島山」と記載されている 八木リーダーから 教わりました

忠敬は第九次の伊豆七島測量を除いて全測量に従事した 彼自身の踏破した測量距離は3.5万km
測量日記によると文化12年10月24日(1815/11/24)は測量隊が清蔵 善太郎宅に分宿 その後3日間は才六 吉五郎宅泊 出典 伊能忠敬e史料館

荒島山から「岳の平」になった事情をご存知の方がいらっしゃいましたら 情報をいただければ ありがたいです(04992-4-0279)
63br9u@bma.biglobe.ne.jp 内堀 昇一
(チョモ)
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