2017’12.25・Mon


パピルス



ヒトツバ


オオタニワタリ

ビカクシダ(鹿角羊歯)ウラボシ科 オーストラリア ニューギニア ニューカレドニア



マツザカシダ(松坂羊歯)







カランコエ・ベハレンシス(ベンケイソウ科 仙女の舞)マダガスカル南部


アロエ



ベンケイソウ


以下出典は旧北海道庁本庁舎(赤れんが庁舎) 時計台(旧札幌農学校演武場)より


阿寒湖畔の松浦武四郎 岩橋 英遠(日本画)
北海道の名付け親といわれた松浦武四郎は弘化2年(1845)から安政5年(1858)までの13年間 日本人がほとんど調査したことがなかった蝦夷地内陸や千島 樺太を探検して数多くの貴重な見聞録や地図などを後世に残した。道内の国 郡名の多くも 彼の案に基づいて設定されたものである。釧路を北上して阿寒湖に達したのは安政5年3月のことであった。



榎本武揚 (えのもと たけあき)幕末・明治の幕臣・政治家・子爵。江戸生。通称は釜次郎、号は梁川。オランダに留学後、幕府の海軍副総裁となる。明治維新の時、五稜郭にたてこもり官軍に抵抗するが、のち許され、駐露公使としてロシアと樺太・千島交換条約を締結した。以後海軍卿・逓信相・外相等を歴任。明治41年(1908)歿、73才。





九人の乙女 1945/08/20 真岡郵便局電話交換室に散った9人の若き交換手たち
















旧北海道拓殖銀行本店跡→いまは北洋銀行本店 拓銀 山一の破たんから20年



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