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2017’05.22・Mon

大英自然史博物館展 国立科学博物館(2017/05/19)

科博のあと同期会(長商31卒)へ 80~79歳
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出典 国立科学博物館 Wikipedia等
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序章 自然界の至宝ー博物館への招待ーSN00126_convert_20170522094009.png

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アレクサンドラトリバネアゲハ ♀の翼長28cm世界最大の蝶 ウオルター・ロスチャイルドが命名 パプアニューギニア ♂と♀ 吸蜜はハイビスカス
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呪われたアメジスト
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三葉虫  モロッコ  カンブリア紀後期 約4億8700万年前
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1章 大英自然史博物館の成立
ハンス・スローン 大英博物館の礎
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インドコブラの皮
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リチャード・オーウェン(Sir Richard Owen, 1804年7月20日 – 1892年12月18日)は、イギリスの生物学者・比較解剖学者・古生物学者。王立協会フェロー。
その比較解剖学の深い知識によりキュヴィエの後継者と目され(師弟関係はない)、「イギリスのキュヴィエ」とも呼ばれた。科学史においては「恐竜」という語の創設と、ダーウィン進化論への熱烈な反論で知られる。英国科学界の頂点であったことから王室との個人的なつながりもあったが、妻と息子には先立たれ学界でも孤立し、公私ともに孤独な晩年であった。一般的に、有能で科学への寄与も大きいが、人間性は高く評価されることが少ない。1842年に騎士の称号を一度辞退しているが、1884年の退官時にあらためてバス二等勲爵士として騎士に列せられた。

ガラスケースのハチドリ
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カール・リンネ「植物の種」
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「自然の体系」 第10版 第1巻
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比較解剖学の父 リチャード・オーウェン
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モア全身骨格 ニュージーランド 完新世 約500年前
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世界初の地質図
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アルダブラゾウガメ
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「種の起源」直筆原稿
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アルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace, 1823年1月8日 - 1913年11月7日)は、イギリスの博物学者、生物学者、探検家、人類学者、地理学者。アマゾン川とマレー諸島を広範囲に実地探査して、インドネシアの動物の分布を二つの異なった地域に分ける分布境界線、ウォレス線を特定した。そのため時に生物地理学の父と呼ばれることもある。チャールズ・ダーウィンとは別に自身の自然選択を発見した結果、ダーウィンは理論の公表を行った。また自然選択説の共同発見者であると同時に、進化理論の発展のためにいくつか貢献をした19世紀の主要な進化理論家の一人である。その中には自然選択が種分化をどのように促すかというウォレス効果と、警告色の概念が含まれる。
心霊主義の唱道と人間の精神の非物質的な起源への関心は当時の科学界、特に他の進化論の支持者との関係を緊迫させたが、ピルトダウン人ねつ造事件の際は、それを捏造を見抜く根拠ともなった[1]。イギリスの社会経済の不平等に目を向け、人間活動の環境に対する影響を考えた初期の学者の一人でもあり、講演や著作を通じて幅広く活動した。インドネシアとマレーシアにおける探検と発見の記録は『マレー諸島』として出版され、19世紀の科学探検書としてもっとも影響力と人気がある一冊だった。

ウォレスのオランウータン ボルネオ島
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ヘンリー・ベイツの日誌 ウォレスの南米探検の同行者
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南極で見つかったこの化石は大陸移動の証拠であるとともに 南極がかっては緑で覆われていたことを物語っている。
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もし我々が生きられたならば 私は仲間の不屈の精神 忍耐力 そして勇気について語り全イギリス人の心を興奮させたことだろう。これらの手記と私たちの遺骸がすべてを語ってくれるに違いない。 ロバート・スコット隊長の最後の日記 1912/03/29
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マリー・ストープス(Marie Carmichael Stopes、1880年10月15日 - 1958年10月2日)は、スコットランドの植物学者、作家、女性運動家である。
エディンバラに生まれた。父親は人類学者のヘンリー・ストープス(英語版)で、母親のシャーロット・カーマイケル=ストープス(英語版)は有名なシェークスピアの専門家で、スコットランドで最初に大学教育を受けた女性である。ロンドンで育ち、12歳まで母親から教育を受けた。エディンバラのSt. George Schoolで学んだ後、女子校のノース・ロンドン・コレジエイト校(英語版)を卒業した。ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで、植物学、地質学を学ぶことを許された。古生代の地層から新たに発見された植物化石に強い関心をもった最初の女性となり、その化石の研究は高い評価を得た。
植物学と地質学、地理学の学位を得た後、ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンの植物学研究所に進み、1904年に自然科学の博士号を取得した。博士論文のテーマは、ソテツやシダの種子の構造に関するもので、絶滅したシダ種子類 (Pteridospermae)の確立に重要な役割を果たした。1904年にマンチェスター大学の最初の女性科学研究者となった。1904年にミュンヘンで知り合った、日本人植物学者、藤井健次郎について、来日し2年間日本で共同研究し中生代後期の地層からの新種の植物化石を藤井と記載した。1908年にイギリスに戻り、再びマンチェスター大学で働いた。カナダの地質調査や、ランカスターの植物化石の有名な産地のFern Ledgesなどで仕事をした。1913年からユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの古植物学の講師を7年間、務めた。著書に 『白亜紀の植物』("Cretaceous Flora":1913年-1915年)や"The constitution of Goal"( 1918年)、"Fuel"(1935年)などがある。1909年にロンドン・リンネ協会の会員となった。
1911年、カナダの植物学者レジナルド・ラグルス・ゲイツ(英語版)と結婚したが、1916年に離婚。不幸な結婚生活の経験から、性の問題について研究し、産児制限運動や性教育に取り組んだ[1]。この分野で、家族計画に関する著作『結婚で結ばれた愛』("Married Love":1918年)や『賢明な親』("Wise Parenthood":1918年)があり、13の言語に翻訳され、数100万部を売り上げるベストセラーとなった。

日本に里帰りした「隕石」
小城隕石 佐賀県小城市 1741/06/08落下 4個 14.3kg
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薩摩(九州)隕石 鹿児島県伊佐市 1886/10/26 >10個 >46.5kg 隕石雨として落下した破片の最大のもの
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133年振りに里帰りした輝安鉱 愛媛県西条市の市之川鉱山(閉山)
輝安鉱(きあんこう、stibnite、スティブナイト)は、アンチモナイト(antimonite)とも呼ばれる鉱物(硫化鉱物)です。硫黄とアンチモン(独語・英名はアンチモニー)。組成式Sb2S3で表され、モース硬度は2。熱水鉱床に石英 方解石を供って産する。
アンチモンは金属元素が硫黄と結合している硫化鉱物 アンチモン化合物は古代顔料として利用され日本最古の銅銭 富本銭(ふほんせん 天武12年683年)の鋳造を容易にするために添加された。工業材料に多岐にわたり利用されている。
2011/05月に鹿児島湾内の姶良カルデラの若尊(わかみこ)の熱水噴気孔で90万トンの埋蔵量が見つかった。
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ニホンアシカ 日本の絶滅動物
H.J.スノー(Henry James Snow、1848年 - 没年不詳)は、リッチリバー号の船長でイギリス人探検家、密漁従事者。日本の北海道を拠点として千島列島を中心に活動した。スノーが捕獲して1896年に横浜の貿易商アラン・オーストンが大英自然史博物館のオールドフィールド・トーマスに送ったもの
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オオナマケモノ アルゼンチン 更新世 約12,000年前 成体の重さは1500kg 皮膚はゾウより厚い巨大生物
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ロンドン塔で発見されたバーバーリーライオンの頭骨 
600年以上前にロンドン塔で飼育され他の外国産動物と共に供覧されていた。1937年頭骨が塔の堀から発掘され分析の結果 かってきたアフリカに生息していた亜種バーバリーライオンと分かった。
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5章 これからの自然史博物館
ダチョウの卵  英の探検家チャールズ・ドーシーがアラビアのローレンスに与えた卵 この卵かどうかは定かではない。
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ピルトダウン人の頭骨片と下顎骨 
1912年 ヒトと類人猿をつなぐミッシングリングとされた。その後の研究で 頭骨は現代人のもの下顎骨は現生のオランウータンのものと判明 人類史を揺るがす捏造であった。
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時間切れでした。
(チョモ)
大英自然史博物館展
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