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2022’11.20・Sun

山田さん 92歳 風雨のため三原山登頂を断念

前日の足取りを拝見して 三原山の登頂は間違いなくできました とにかく お元気です。........(ご家族から「波浮の湊」と「御神火」に特化したオーダー)

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左からお孫さん 山田さん お嬢さん と ご主人 その右が「為朝」末裔の館主 藤井さん  「赤門」にて

鎮西八郎源為朝とは日本の源平時代の武将(1139 - 1170) 伊豆大島に流され伊豆諸島を制圧して 大島で戦死した若い武将です。

伊豆介の工藤茂光は朝廷に為朝追討を訴え伊東氏、北条氏、宇佐美氏らの追討軍を編成し、伊豆大島にいる為朝に迫ります。為朝はこの追討軍と交戦せず、大島で生まれた息子・源為頼を刺殺したあと、そのまま自害しました。伊豆大島が攻められたとき、船で琉球に渡ったという伝説があります。追討を逃れて琉球に着いた為朝は、大里按司の娘との間に子を儲け、その子が初代琉球王・舜天になったという説話です。この話は、琉球王国最初の正史『中山世鑑』ちゅうざんせいかん 羽地朝秀はねじちょうしゅう著に記されています。(大島に住むチョモは 為朝が押し寄せる軍勢と碁石浜で奮戦して力尽き戦死した と思っています。抗戦しないはずがない。 業死→碁石)

中山世鑑は序文と総論のほか、全五巻で構成されている。総論では開闢神話に触れ、琉球に流れ着いた源為朝が琉球女性との間に尊敦(そんとん)という子を生み、彼が成長して浦添按司となって中山王となり、後の舜天となったとしている。この源為朝説には「保元物語」が引用されており、王朝交替については中国古代の易姓革命になぞらえている(出典 アジア人物史 琉球王国の新時代 前田舟子)
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こうどう は 頭殿(こうどの)為朝神社のことか? こうどう と発声していたかもしれない。
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資料の編者は 故 柴山孝一さん
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中央が大島観光協会の岡田さん
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お嬢さんはブライダル 和ドレス業界で高名なデザイナー
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自家製の椎茸を焼いて 召し上がっていただきました。今朝焚火で焼いたサツマイモをガイドの最後にお出しするのを うっかり失念いたしました。 山田様 来年晴れた日に焼き芋を食べに お出かけください。山頂に ご一緒しましょう。明日は新島をたっぷり お楽しみください。
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(チョモ)
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