宮川 哲夫(1922年2月7日 - 1974年9月30日)は、昭和期の歌謡曲作詞家。伊豆大島、波浮港 網元「宮哲丸」の生まれ。生涯に手がけた歌謡曲の作詞総数は850曲にのぼる。
1952年、哀愁のギター(作曲・吉田正、歌手・宇都美清)
1953年、街のサンドイッチマン(作曲・吉田正、歌手・
鶴田浩二)
1954年、
公園の手品師(作曲・吉田正、歌手
・鶴田浩二)
1955年、
ガード下の靴みがき(作曲・利根一郎、歌手・
宮城まり子)
1955年、赤と黒のブルース(作曲・吉田正、歌手・
鶴田浩二)
1956年、好きだった(作曲・吉田正、歌手・
鶴田浩二)
1957年、夜霧の第二国道(作曲・吉田正、歌手・フランク永井)
1958年、羽田発7時50分(作曲・豊田一雄、歌手・フランク永井)
1958年、
公園の手品師(作曲・吉田正、歌手・
フランク永井)
1959年、夜霧に消えたチャコ(作曲・渡久地雅信、歌手・フランク永井)
1961年、東京ドドンパ娘(作曲・鈴木庸一、歌手・渡辺マリ)
1962年、背広姿の渡り鳥(作曲・渡久地雅信、歌手・佐川満男)
1962年、湖愁(作曲・渡久地雅信、歌手・松島アキラ)
1963年、美しい十代(作曲・吉田正、歌手・三田明)
1966年、雨の中の二人(作曲・利根一郎、歌手・橋幸夫)
1966年、汐風の中の二人(作曲・利根一郎、歌手・橋幸夫)
1966年、霧氷(作曲・利根一郎、歌手・橋幸夫) ※レコード大賞受賞
1968年、恋はせつなく(作曲・利根一郎、歌手・橋幸夫)※最後のヒット賞受賞曲
補足
宮川哲夫の詞は都会調だが、戦後の混乱期の哀愁と孤独、空虚感が漂うのが特徴であり、鶴田浩二は、これを『宮川ニヒリズム』と呼び、的を射た表現と多くの共感を呼んだ。
宮川哲夫作詞の「ガード下の靴磨き」を歌ったことがきっかけとなり、歌手
宮城まり子は、自然と恵まれない子供たちに目が向くようになり
ねむの木学園の構想へつながった旨、後年述懐している。 出典 Wikipedia

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マイサウンズの皆さん 右から市川・間橋・浅見 洋子さん いっちゃんは市川さんのこと



洋子さんは「宮川 哲夫」の三女 マイサウンズを主宰



街のサンドウィッチマン(チョモ)
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