産総研 火山地質図に一部加筆

作図 リーダー 八木丈夫
昭和天皇行幸巡路として整備された古道 「陛下道」の起点は「月と砂漠ライン駐車場」 終点は探索スタート地点 今日は白石山に迂回した。


「陛下道」終点 今日のスタート地点 09:10出発 帰着は日没後の 16:55 一日中南西の強風で樹上は15m/S
N34°41′56″ E139°24′41″


左 「小穴」方面へ

左「小穴」に向かわず 右直進








右は仕事道(炭焼き) 左下が「陛下道」

二番ヶ沢に出たら右岸に渡り しばらく右岸の尾根を直登する



林道 間伏線


ユズリハの脇から「陛下道」が続く N34°42′32″ E139°24′28″


ヒサカキ


白石山が...

左に迂回して白石山へ 直進すると「陛下道」の起点 月と砂漠ライン駐車場に至る

ツインピーク「二子山」

白石山のいわれ ? 白い岩石 N34°42′36″ E139°24′33″

「利島」


N34°43′8″ E139°24′17″

白石山からカルデラを望む 左が三原新山758m 右が剣ヶ峰749m 撮影ポイント N34°43′9″ E139°24′17″



櫛形山 671m


右下 「岳ノ平」




オオシマツツジ

左が差木地 右が野増の財産区境界尾根を降る N34°43′24″ E139°24′5″


二番が沢


N34°42′35″ E139°24′24″




電池が切れました。冗長な写真を最後までご覧いただきありがとうございました。
「陛下みち」情報(郷土研究家 大村 森美)
昭和天皇の伊豆大島行幸は4度 大正7年(1918)東宮時代 昭和4年(1929)戦艦 長門で 昭和35年(1961) 昭和62年(1987)
昭和4年(1929)5月聖上陛下大島に行幸あらせられる......山頂に玉歩を進めさせられ、御途中御座立所(六地蔵下)において島娘の声を合わせて 合わせて唄い参らす大島節を聞き召された(あんこ3人の1人が大村氏の亡母の姉 白井せん)......それより岡田に御下山同日夕刻岡田港御出港 関西行幸の途につかせられたのであった。この日天候急変の為め波浮へ御下山の御予定をご変更遊ばされ岡田に下られたのであるが......差木地(サシキジ)には「陛下道」という.......陛下行幸の折 村役場 学校を中心に村民の仕役によって(草刈あるいは薪炭の搬出路としてしか使用されていなかった険阻な山道)大がかりな改修工事が行われ......
「陛下道」情報2(藤井工房 伊豆大島の風景 2013/11/16 http://gojinka100.blog27.fc2.com/blog-date-20131116.html

おほみうた
昭和35年(1961) 御年60歳
夕庭に島の少女はをどるなり 節に合わせて手振りもかろく
見渡せば白波立てる海づらを へだてて遠く富士の嶺そびゆ
昭和62年(1987) 御年87歳
うれはしき島のまがごとみ空より まのあたりにもはじめて見たり
大島の人々の幸いのりつつ噴きいでし岩を見ておどろけり
ひさしぶりにかつをどりをみて静かなるおほうなばらの船旅うれし
(チョモ)
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