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2013’11.16・Sat

三原山地蔵尊の安否

足場のよい沢の傾斜地を登ってゆくと石積が見えました、そこには昭和天皇のご行幸の際に休んで「大島節」をお聞きなったお野立所の場所に石碑が立っていた。その道を少し上がると次の沢の深い崩落箇所に出た。少し石畳が残っていたので旧道の休憩所「歌の茶屋」があった場所の近くだろうか。

たしか「歌の茶屋」より下にあった筈だと思い今来た道を下ってゆくと「三原山地蔵尊」という石柱があった、下ってゆくとそこには前と同じように石仏群が何もなかったかのように静かにたたずんでいた、まったく土砂も流木もなく、左右の谷は深く削り取られており、駐車場まで戻るには深くなった谷を登るしか方法はなかった。
うまく谷を越えて眺めた沢と今歩いてきた山道を図面にすれば昭和天皇の碑を三角形の頂点にしてわずかな尾根の平地にある地蔵群のエリアだけかろうじて避けて二本の土石流は流れ下ったと思われた。

三原山噴火災害の時に、内輪山頂にあった三原神社が奇跡的に溶岩流に飲み込まれるのを免れたように「三原山地蔵尊」も奇跡的に流出を免れることができた、石に刻まれた木村武山の仏画そして中村不折の書は大島の貴重な文化財だ、せっかく災害から逃れることが出来たのだからしばらくして山が落ち着いたら何とか環境整備して永く保護したいものだ。

今は大島の三原講のみなさんが定期的に訪れてお世話されています。
良い話のない昨今ですが、地蔵様を心配されてる方々に無事だったことをお知らせしていただければ嬉しいです。ホットトギス

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2013’11.16・Sat

御神火スカイライン旧道5合目

御神火スカイライン旧道5合目の地蔵尊の安否確認に行ってきました。

11月14日三原山頂上駐車場に車を止めて御神火スカイラインを下ってきました。
台風以来毎日町から眺めてきた山麓の崩落が痛々しい三原山の現状と御神火スカイラインの五合目近く(旧三原山登山道)沢沿いの小さな平地に中村不折の敬書の三原山地蔵尊の標柱と線彫地蔵尊(日本画家で仏画に優れた木村武山画伯の作)・延命地蔵・六地蔵などの石仏が並んでいたが、そのお地蔵様たちがご無事かどうか確かめる目的もあった。
これらの三原山地蔵尊建立の目的は、昭和初期から三原山は自殺の名所として有名になり、昭和8年から9年にかけて129人もの自殺者があったと言われ、しかも18才から25才の若い人が多かった。この地蔵群は、こうした自殺者の供養と若い人たちに死に急ぐことのないよう、生きることの大切さを教戒すると共に、健全な青少年の将来を祈願するため、この地に昭和9から10年にかけて奉納されたものだと言われている。
御神火スカイライン健在の時には、道路の脇に車が二台停められるほどの駐車場があり、降りて山道を登ると直ぐに沢を渡るための橋があり向こう岸の急坂を上ると石仏群がある、車を降りて徒歩5分くらいの場所だ。
御神火スカイラインは思っていた以上に上部の頂上付近から崩落が始まっており、幾筋かの流れがまとまって大金沢に一直線に流れ下ったように見えた。

山頂から下った左端(野増より)の一つ目の大きなカーブに地蔵尊はあるはずだが、道は土砂と流木に埋まり、沢に架かっていた橋はなく、前に橋を渡ったことのある沢は大きくえぐられて地蔵尊に続く道はまったく見当がつかなかった。

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