島の中でも地域により異なるが大島の畑は「砂地」が多いような気がする。砂地だと芋類が良く採れる。南部に住むチョモさんの畑のさつまは「鳴門金時」、土は砂地というより湿った土に見えます。
鳴門金時は数が多くできないが旨い、と聞いていますが、チョモさんの赤っぽい芋は丸々と肥えています。
私が今年作ったイモは「ベニアズマ」あと3列収穫を待っています(写真のとおりで砂地です)。

イモのデーター
大分県佐賀関の粟本佐治郎という人が明治23年に漁業で来島し、岡田の人と結婚して住み着いた、その子孫は大島に在住している。佐治郎は一度大分に戻り「天留古(テリコ)」という大変甘みのあるおいしくて貯蔵にも耐えうるさつま芋を持ち帰り広めたので、その後全島で栽培されるようになった。
平成6年に岡田の川島シマさん、小坂でんさん姉妹が5個のテリコを残していることがわかり、譲り受けて苗を作り、地元の中学校の体験学習「さつま栽培」で作った。
これをきっかけにして種芋として広がり、今でも貴重種の「テリコ」を数名の方が種を絶やすことなく栽培を続けている。
大正4年発行の『伊豆大島の事情』によると、当事の品種は「四十日、朝鮮、川越等種々あれど、主にテリコを栽培する」とあり、常食の他に横浜などへ輸出していたことが述べられている。
「伊豆大島を知る事典 編者 樋口秀司」より要旨を引用
いつか「鳴門金時」も「テリコ」も作ってみたいが芽だしや種イモの管理が難しそうですね。
Categorie:大島今昔・風俗風習 - コメント(4) ▲TOP